甲府七夕空襲とは?(かんたんに)
甲府七夕空襲(こうふたなばたくうしゅう)とは、太平洋戦争の終わり近く、1945(昭和20)年7月6日の深夜から7月7日の未明にかけて、アメリカ軍のB-29爆撃機が山梨県甲府市を焼夷弾(しょういだん)で攻撃した空襲のことです。一般には「甲府空襲」と呼ばれ、7月7日=七夕の日にかけての空襲だったことから「七夕空襲」の名で語り継がれています。
この一夜で、甲府の市街地のおよそ7割が焼け、多くの人が亡くなりました。東京や大阪のような大都市だけでなく、地方の中小都市も次々と空襲された時期の出来事です。
いつ・なにが起きたか
- 1945年7月6日 夜甲府の人びとが寝静まったころ、空襲警報が鳴る。B-29の編隊(記録により約120〜138機)が甲府上空へ。
- 7月6日 深夜〜7日 未明約2時間半以上にわたり焼夷弾が降りそそぐ。木造の家々が次々と燃え、人びとは防空壕や川、郊外へ逃げた。
- 7月7日 朝七夕の朝、甲府の中心部は一面の焼け野原になっていた。
被害はどれくらいだったのか
(甲府市街の約7割が焼失)
(約18,000戸以上)
※数字は総務省「甲府市における戦災の状況」および甲府市の記録に基づきます。死者数は当時の調査で740人、昭和49(1974)年の調査では1,127人と報告されており、資料によって幅があります。正確な数がいまも定まらないこと自体が、空襲の混乱の大きさを物語っています。
なぜ「七夕空襲」と呼ばれるの?
空襲があったのが7月6日の夜から7月7日——七夕の日にかけてだったからです。願いごとを書く短冊の日が、甲府では「町が燃えた日」として記憶されることになりました。甲府では今も毎年7月、慰霊の行事や資料展示が行われています。
そのとき、子どもたちは
空襲の夜、子どもたちは防空頭巾をかぶり、家族と防空壕に逃げこみました。真っ暗な壕の中で、爆音と火の手におびえながら朝を待った——そんな体験をした「フツーの子ども」が、甲府にはおおぜいいました。
絵本『うんこのてんし』の主人公・ひろしも、そのひとり。怖くておなかが痛くなり、うんこをしたくなって防空壕を出たあと、防空壕に爆弾が直撃した——これは、作者・鎮目博道の父親が実際に体験したことが元になった話です。
この空襲を生きのびた少年の実話、絵本になりました
『うんこのてんし』(さく:鎮目博道/え:松本えつを/CHICORA BOOKS)。笑いながら、戦争と平和を本気で考える一冊です。
絵本の詳細・購入はこちらもっと知りたい人へ・学びを深めるには
- 家族や身近な人に聞いてみる — 戦争を体験した世代から直接話を聞ける時間は、あとわずかです。無料のワークシート「聞いて、つなぐ」を使えば、なにを質問すればいいかがわかります。
- 授業・平和学習で扱う — 授業用指導案(45分×2コマ)を無料配布しています。
- 甲府市の資料にあたる — 山梨県立博物館や甲府市の平和関連展示では、実物資料や証言にふれられます。
参考資料
- 総務省「一般戦災死没者の追悼|甲府市における戦災の状況(山梨県)」
- 甲府市公式サイト「甲府空襲」
- 『うんこのてんし』あとがき(作者の父の体験と取材にもとづく記述)